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2008年5月18日 (日)

あるがまま

あるがまま 2008,5,18
すべての全体として、一部分をみたとき、そこには分離は存在しないのです。

そして、全体はあるがまま、「在る」だけなのです。

個としての自分は、実は全体でもあるという真実に気が付くこと。。
それが、あるがままに自分自身を観察し眺めることに他なりません。

注意をはらう範囲を、全体としてみることができるとき、部分はもはや全体から分離した部分ではありえないのです。

そういう視点は、まさに神の視点です。

神の視点に立つことは、すなわち、全体としての自分自身をあるがままに観るということに他なりません。

そこに観えるのは、怒りであれ、嫉妬であれ、愚痴であれ、、悪しきものなどありえないのです。全ての感情は、愛が姿を変えた一部分であることの、気付きなのです。

気付きは、一部分の特定ではありません。

全的な視点に立つことの、爽快な、すがすがしい風景への回帰なのです。

すべての部分への拘りからの、解放です。

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