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2008年5月16日 (金)

解放

解放 2008,5,16
愛するというのは、とても素晴らしいことだとみんなが思っています。

しかし、あたしたちは愛するという範囲を限定的にするが故に、執着と拘りの次元にさ迷ってしまいます。

愛は、100%の受容と寛容、そして自由、あるがままなのです。
愛は見返りを期待した取引ではないのです。愛は、ただあるがまま、愛する人々に対して無償に注がれるものです。ちょうど太陽の光が、全ての物に平等に降り注ぐように、あたしたちがどんなことを考え、どんな心の状態にあろうとも、太陽は変わらず光を注いでくれています。かといって、太陽は「なにかよこせ」などとは絶対に言わないのです。太陽は太陽として、ただそこに「在る」だけなのです。

それが、愛です。

愛に拘るあたし達は、さまざまな不安の世界で苦しむのです。最初、相手が自分を愛してくれているだろうか?という不安に苦しみます。相手があたし達に愛を語ってくれたとき、とても嬉しいのですが、次の瞬間、、それがほんとかどうか不安になるのです。相手が「ほんとだよ」と言ってくれた時、とても嬉しいのですが、その次の瞬間にはその関係性がずっと継続するかどうか、とても不安になるのです。いつまでも、安堵に満たされることはないのです。
結局、愛するが故に、不安の世界からは解放されないのです。

じゃあ、一体安堵を感じる愛はどこにあるのだろうか?

確かにそれはあるのです。あの太陽と同じように・・・・

すべての感情の源は、愛です。愛は、自分自身の中にあるのです。
実は、あたし達自身が、愛の何たるかもともと知っている教師であり、学徒でもあるのです。
ゆえに、愛の何たるかを他人に問うても、答えは与えられないのです。

不安、怒り、嫉妬、欲望・・・そういったありとあらゆる感情を全体として眺めることができたとき、、、自分自身は何物からも分離していないということを理解したとき、、

すべての謎が解き明かされて、ありのままの自分と対面することになるでしょう。その時、ありのままの自分自身が、「愛」を語り始めるでしょう。

愛するもの達の自由を願うとき、自分自身も愛されていることに安堵し、そして、不安から解放されるのです。

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