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2008年5月19日 (月)

全体をみる

全体をみる 2008,5,19
人間は十人十色といいます。
怒りっぽい人、気の弱い人、笑うのが好きな人、冒険好きな人、親切な人、泥棒する人、無責任な人、責任感の強い人・・・
人の性格はいろいろだ。でも、人の性格はただ一つだけだろうか?実は、この世にある全ての感情を一人の人が全て持っているのです。まるで多面体のようにいろいろな面があるのです。その多面体のうち、その時一番自分の中で問題意識のある面を、「選択」しているに過ぎません。
喜び、怒り、嫉妬、欲望、悲しみ、寂しさ・・・そういった全ての感情は人間として、コンパクトにまとまったように、自分自身の中にあるのです。

それらを全体として見渡しながら、物事を物事として眺めることが出来るとき、、それを悟りというのです。

人間に特定の一部分など無いのです。
今、怒りを感じているからといって、「怒り」の感情だけが、全体から独立して存在するのではありません。

・・良く考えて見ましょう。

なんで、怒りを感じるのでしょうか?怒りは傷ついた心を癒したいという欲求の現れです。愛であるはずの自分自身なのに、誰かが、、または、何かが、、または、ある特定の物事が、愛とは違うことをあたし達に「為した」から、傷ついたと思っているのです。
それを癒すための、ある特定の心の方向性の一つが、「怒り」なのです。ですから、「怒り」の感情そのものが、単独では発生しえないし、存在もしえないのです。
「怒り」を全ての自分の中にある感情から切り離して、特定し、部分として捉えることから、分離が発生します。分かち難いものを分離することによって、全体で無いあたしたちになってしまうのです。その結果、糸の切れたタコのように、「怒り」という概念だけが迷走してしまいます。

なぜ「怒り」を感じているのでしょうか?自分自分のどの部分が、その物事に反応しているのでしょうか?そしてそれは、他の感情の断片達と、どういう関係で連結しあっているのでしょうか?
それを観察することが、大事なのです。

部分などないのです。

全ては一個の全体として、まあるくとじているのです。

全ての感情は、愛を源に発生しているのです。でも、全体として感情を眺められないから、その中心に愛が存在することに気が付かないでいるのです。

まるで、顕微鏡で紙の粒子だけを見ていると、それが実は「紙」であることにきがつかないのと良く似ています。


全体をみること、、、それが、癒しのメカニズムなのです。

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