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2008年5月 4日 (日)

歩行

歩行 2008,5,4
あたしは、もともと足の長さが右と左で少し違っている。左足の方が、少し長い。長いといっても、ほんのちょっとだけど、そのちょっとが歩行に大きく影響している。
立っているときは、必ず左足を少し前に出して右足に体重をかけている。どうしてかというと、そのほうが楽だからだ。
元気なときはちゃんと歩けるが、疲れていたり体調が悪かったりすると、歩くときによく地面に蹴躓く。左足が地面にひっかかるのである。たまに、なんでもないところでこけそうになったりもする。それに、ちょっと足を引きずるような歩き方になってしまう。

 今日は、昼間運動不足を解消しようとして、かなり歩いた。。。でも、結局体調があまり良くないので、歩きにくかった。こういう時は、無理してはいけない。

 歩くという人間の基本的な動作は、とても重要だと思っている。歩くという動作で、人間は大きな進化を遂げたのだそうだ。二足歩行をすることによって、脳のキャパが劇的に増加したのだと、科学者は言う。

 ダーウィンという人がいたそうだ。彼は、進化論という近代の科学と思想に大きな影響を与えた研究を発表した。
 
 あたしは、進化論には実は問題があると思っている。生物は古代からの進化によって今の形があるのだと、、彼は言う。
 でも、大きなことを忘れてしまっている。それは、「時間」の概念である。悠久の時の流れの中では、彼が言った「進化」は、一瞬の出来事に過ぎない。だから、神という創造者が一瞬に全てを創造したというのは、事実だと思っている。我々の時間の概念からすれば、長い時間をかけて発達した生命も、宇宙の視点にたつと、、わずか一瞬の出来事なのである。
だから、人間はずっと人間だし、猿はずっと猿のまま・・・・だと思っている。

 あたしは、般若心経に惹かれている。いや、惹かれているというよりは、読んでいるとエクスタシーすら感じる。
 釈迦やキリストや、、近代においてはクリシュナムルティといった人達は、みんな同じことを言っている。そして、突き詰めれば、、、般若心経に書かれてることに尽きるのである。
 彼らは、まるで同じプロセスを経て、、悟りに至ったことに注目している。
それは、今で言う、「引きこもり」である。彼らは全員、悟りの前には「引きこもり」の期間があった。研究書物を読んでいると、良く分かるが、かならず、「うつ」の時期があって、結果悟るのである。
彼らは全員、「悟ろうとすることを、克服した」人達であることが、、とても興味深い。

 あたしは、ある種の「悟り」を持った。自分自身が、「ああ、ありのままでいっか・・」みたいな気分になって、気負いがなくなった。そして、いろいろ過去の自分の発言や行為、、一つ一つをレビューしながら生きている。赤ちゃんの頃からの自分の態度を、反芻している。しかし、自責の念にとらわれることは無い。だって、その時はそれが正しいと思っていたから。。ただ、普通の人と違っていることは、自分の過去の言動や行為によって、周囲の人達にどういう影響を与えたのか?ということが見えるようになっていることである。そして、今の自分の心のありようを、修正しながら生活している。

知識は、思考であって心では無い。思考は過去の産物で、「時」の経過ととも忘却の箱の中に移動してしまうものである。そして、ときどき思い出したように、その箱を開けて思い出そうとするのである。

 重要なのは、心の修正と創造の行為への適用だと思っている。

知識を元に心を修正し、創造の行為へ適用する。。
これを、あるスピりチャルな人は、こう表現している。

「やろうとするのはやめてください。ただ、やってみるのです。」

そして、あたし達人間は、愛や友情や友愛を描くために、いろいろ悩み、、
そして、試行錯誤しながら、人生を創造しているのだと思っている。

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