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2008年5月15日 (木)

境界

境界 2008,5,15
幸せになることは、いかなることだろうか?

そもそも、幸せとは一体どういう状態のことだろうかと、思いをめぐらせて見る。

それは、心の平安、、安堵の空気ではなかろうか?
安堵の空気は一体どこにあるか。。それは、自分自身の真なる心の中心にあるものだ。

でも、この世での生の葛藤に生きるあたし達は、いろいろな垢をためてしまって、その中心にあるものが、ぼやけて見えにくくなってしまっている。

一瞬、垣間見ることはあるが、その安堵の空気はまるで幻想のように目の前から消え去ってしまう。

だから、安堵の空気など、ほんとは無いのだと思い込んでしまうのである。


生と死の境界線から離れることが、道であると思っている。死という将来必ず起こる肉体の変化に、あたしたちは恐れおののく。しかし、その不安そのものも、実は幻影かもしれない。

 「今」という時間を、念入りに、見つめることによって、生と死という不安の境界線がなくなってしまう。

 境界線がなくなったとき、あたしの心は眩い光の中にぽっかりと浮かんで、

 そう・・安堵の空気の中にいるのだ。


 それは、夢や幻想ではない。。それは、「事実」だ。

 怒りや愚痴や果てしない欲求の心、言葉、行為に生きるとき、、あたしたちの心は自分の創造した空気のなかで、苦しむのである。

 生と死の境界を越えたとき、怒りを生む因となる拘りを捨て去ったとき、、

 無垢な心に安堵の空気が流れ込んでくる。


 あたしは、そのことを優しい風と読んでいる。

 
 
 とても幸せな気分・・・だな。


 優風


 いい名前だ。

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