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2008年2月 8日 (金)

言葉の限界

言葉の限界 2008,2,8
久々です。

皆さん、お元気でしょうか?

思うところあって、日記を休んでおりました。

メッセージにいろいろと書き込んでいただいていた皆さん。。

あたしは、元気にしております!!


最近、思うところというのは、言葉の限界を感じているからです。言葉は、結局、信念や、概念や、人間が思うことを「音」にして相手に伝えるという壮大な人類の試みです。
しかし、この雑音とも言うべき「音」では、未だかつて正確に相手に真実を伝えられたことは無いのです。それは、歴史が証明しています。
「文字」は、その雑音とも言うべき「音」を記号化して残すという、これまた更に壮大な目論見だったのですが、未だかつて正確に情報を伝えられたことはありません。

伝えたいことは、そういう雑音や落書きではなかなか正確に伝わらないのです。

色ですら、その人がどんな風に見えているかなんて伝えることができません。せいぜい「薄い赤・・」ぐらいが関の山です。

山々やその素晴らしい自然の生き生きとした生命を、正確に伝えた人は、どこにもいない。。。「それっぽいこと」は表現者によって、表現されてきたけれど、、どれもこれも完全には伝わっていない。。

言葉とは、そういう不便で不完全で、、しかもグローバルには活用できない、、まるで駄目なツールなんだということを、最近、理解できました。

思考が創出した、人工的な、、おおよそ真実とは言い難い概念、、怒り、嫉妬、敵意、不満・・・そういうものを言葉で表すのは、とても簡単だな。。そして、言葉を相手に投げかけることによって、より効果的に、そういう愛とは言い難い概念を機能させてきた・・それが、あたし達の歴史だ。

愛と思いやりは、そういう人工的な思考や概念の向こう側にあるべきもので、、言葉や文字では、到底そこには到達できない。結局、時間の枠に縛られて、育った環境の枠に縛られて、両親の間違った教えや、学校や社会のゆがんた独りよがりな常識を植え込まれた、、そういう固定的な信念の呪縛の中でしか、、言葉は出てこないのです。

愛と思いやりは、、今、自分達が信じているものを、全て破壊した瓦礫の中に満面の笑みをたたえてたたずむ一人の子供の瞳の中にある、光のようなものだ。

自分自身の表層にあるものを、とっぱらって、、空っぽになったとき、、全てのものが流れ込んでくる。。

そういう体験が、愛と思いやりだと分かった。

言葉は、何も真実を語らない。語り部が見た真実しか語らないのです。だから、真実をありのままに見て語るという行為は、、実は、言葉では無理なんだと思うのです。

服を脱いで、必要の無い信念を脱ぎ捨て、一枚一枚この体の皮膚や骨を分解していったとき、、、最後にまあるいちっちゃな光の珠が残るのを、あたし達は見つけるだろう。

そして、その光の珠は、とても綺麗で暖かく、天真爛漫にただ優しく輝いているだろう。

その光の真実に触れたとき、、

言葉など、まったく意味をなさないほどに、強烈な躍動と、活発な変化を見るだろう。


それが、愛だな。




皆さん、なんだか、分けわかんないでしょ?

なかなかね、難しいんですよ、、

人間の言葉で説明するのって、、ほんとに、難しいんですよ。


でも、世界中の人に、伝えたいんだ、、正確に伝えたいんです。


なんか、いい方法、、ないもんかねぇ・・・

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